肩を少し

ドーパミンの幸せは

誰に求めたらいいんだろう

セロトニンの幸せは

もらっているから、

セロトニンの幸せは埋まってる

 

ドーパミンの幸せは

誰かに求めることは手放して

誰にも求めずに、自分で

埋めるしかないんだよね、きっとね

 

きっと運動したり

疲れたりすれば、そんな事で

気にならなくなるんだろうか

 

仕事があればいいのに、

懸命にやっても、仕事がない

コロナ、どうすればいいんだ

 

そしてこんな長期不安な時

支えになってくれる人が

居てくれたら

だけど、

ドーパミン担当に手を挙げては

もらえない

ドーパミン担当するのは

やっぱり荷が重いかな

 

そりゃそうだよね、

私自身、私の人生

自力で走りを持続できるか

わからんのだから、こんな不景気に

 

もう一人、

いや、もう二人抱えようなんて人は

いないかな、、、

よっぽど大切な相手にならなきゃ

無理だよね、

きっとね、私はそのくらいの位置、

そんな答えを映し出してるんだろう

 

私はセロトニンの女

ドーパミンの女では

ないのだから

 

少し肩を貸してほしいって考えが

見えたら、きっと逃げられちゃう?

 

肩を貸してほしいと言える

心の底のホントが、

言葉にできる

そんな時が私の人生に 

訪れるんだろうか